パソコンで電子化するよりも大切な「手書き」の効用

電子化が進み、紙による保管や配布が減ってきています。私もできるだけペーパーレスにしているほうで、何でも電子化して、パソコンさえあればいろいろな情報を持ち歩くことが出来る、という体勢にしています。しかし、それが良くないという面を最近実感しました。
まずは、手書きが良い、ということを記した文献の紹介します。

【神メンタル】より
目標を手書きした時の達成率と、キーボードでタイプしたときの達成率を比較すると、手書きした場合のほうが、キーボードでタイプした場合と比較して42%も達成率が上がることが判りました。私たちが文字をキーボードでタイプする時に必要な指の動きは8種類しなかいといわれています。一方で、手書きする時の指の動作は1万種類あるといわれています。脳も1万種類の動きに対応する部分を使うということになります。つまり、脳に与える刺激が圧倒的に違うわけです。手書きすることで、脳が何カ所も何カ所も刺激を受け「これは重要な情報だ」と認識する・・・これが目標達成率に大きく影響しているのです。

【将棋丸秘上達法】より
筆者はかつて、米長プロの弟デシにあたる田丸昇六段から、「奨励会員だったころ天野宗歩の実戦集を借りてきて、一手ずつ筆写していたら、何十局か書き写しているうちに、あるときパッと宗歩の持つ感覚が自分にのり移ったような気がして、開眼した。それがプロ棋士への第一歩だった。」という意味のことを聞かされたことがある。
読者よ、本のコピーではない。筆写なのである。一手一手なのである。
昔--平安朝以降の文人たちが、源氏物語の底本を一語一句ずつ書き写した、という故事からはじまって、中世僧侶や武人たちの写経,さらには小説家志望の若者が、志賀直哉の短編を何度も書き写す,という話に至るまで、この種の「物を写しとる」たぐいのエピソードは多い。しかし、将棋の世界においてもそうであったのか!と話を聞いた当座、筆写はうなった・・・
古棋譜を写し取る上達法とは、何とクラッシックで、文化の香り高いことよ。将棋の世界から、電子複写機よ去れ・・・。

トレードの練習法で、商標登録もされている「シャドトレ」というのがあります。チャートをプリントアウトして、下敷きなどで隠して、少しずつズラしながら次に上がるか下がるか考えるという練習法です。私はこの方法を少しやってすぐに、その欠点に疑問をもちました。紙がもったいない、ということもありますが、それ以外に
・練習する前になんとなく上がるか下がるか全体を知って(見て)しまう。
 あるいは、現在位置が紙の上か下かによってもなんとなくわかってしまう。
・開始始めは数本進まないと状況が把握できない。
・長期足や短期足と並行で見られないので大局的判断ができない。
そんな欠点を改善すべく、パソコンで練習できるようなプログラムを(EXCELのVBAですが)作りました。そのプログラムを作るのに、多くの時間を使いました。それは、練習以外にルールのシミュレーションをしたりとかできるので、いろいろな効果もあったのですが、それば別の投稿を参照いただくとして、、
ともかく、パソコン画面で練習できる環境を作って、練習を続けていました。
しかし最近、多くの枚数、プリントしたものを「シャドトレ」して気付きました。
パソコンとは違う、と。
それはきっと、上述のような理由なのだと思いますが、改めて手書きの効用というものに気付かされたのでした。

将棋界では藤井総太二冠が大活躍して話題になっています。AIがプロ棋士に勝つようになってしまったこの時代、彼も棋力向上にパソコンを活用しています。その新時代を代表する彼は間違いなく強い。
そんなこともあって(?)、今時この時代に紙に出力してシャドトレなんて、、、と思っていたのもありました。
しかし、先日NHKで放映された藤井総太二冠の特番を見て、そのある場面に「ハッ」と気付かされたのです。
彼が小さい頃通っていた将棋教室では、目をつぶって詰将棋を解く練習をしていました。そこでの練習が、彼を「詰将棋選手権」の優勝(5連覇)に導く原因になったといえますが、私が注目したのはそこではなく、その練習では解答を紙に書いていたのです。テレビには、彼の書いた解答文字がぎっしりと詰まったノートが映し出されていました。
クラッシックな勉強法は健在だったか!と改めて思い知らされたのでした。
もちろん、彼が強くなる過程でパソコンによる解析やAIとの対局が大きく影響していることは間違いないと思うし、その環境がなければ今ほどの実力に至っていないと思いますが、手書きで「書く」という行為がその土壌を築くためのパーツのひとつになったのではないかと思います。