「人生一手の違い」でも紹介された記事、日経新聞に掲載された羽生六段(当時)の談話をまず掲載します。(少し古いですが)
昭和62年12月が棋士生活のスタートであった。以来これといったスランプもなく、まずは順調にやってこられただけに、現状に満足する気分にならぬよう絶えず自戒している。勝負の世界では「これでよし」とする消極的姿勢になるのが一番怖い。常に前進をめざさぬ限り、そこでストップし、ついには後退が始まるからである。私は間もなく満十九歳を迎えるが、今から二、三年が棋士として最も大切な「基礎」固めの期間と自覚している。
(中略)
情報化社会とかで、世相の変化はめまぐるしいものがあるが、今の将棋の変化と進化はそれ以上に急ピッチともいえる。これからの10年はおそらく過去の何十年分に当たる変容を遂げるのではあるまいか。六歳で将棋を覚え、小学生の頃にプロ棋界の存在を意識した私は、早熟といわれた。しかし、将来は六歳以下の幼児たちが、どんどん将棋を指すということになるかもしれない。そうなれば競争はより激しくなり、それにつれて将棋の戦法的進歩にテンポも加速される。その結果、現在の将棋は10年後にはまったく通用しないということになりかねない。そうした将棋の進歩に取り残されないためにも油断は禁物、絶えず前向きな勉強が必要になる。その場合も、ある時期集中して研究し、しばらく休む方式より、毎日コツコツと勉強するほうが”新しい流れ”について行くためには向いていると思う。
米長氏が驚いた部分は、
「将棋の進歩に取り残されないためにも油断は禁物、絶えず前向きな勉強が必要」
これを三十代四十代の棋士が言うなら当たり前であるが、新進気鋭の十代の若者が言ったということである。
そして、その勉強方法として
「ある時期集中して研究し、しばらく休む方式より、毎日コツコツと勉強するほうが”新しい流れ”について行くためには向いている」
という主張。実際にこのころの羽生善治は将棋漬けの毎日を送っており、そして勝ち続けていた。
この話は、 どれくらい勉強すれば良いか にも紹介した永瀬2冠王と共通するところがあり、NHKの放送で永瀬2冠王の生活を追跡したところ、1ヶ月休みなしで研究会か対局しているとのこと。当時の羽生六段と同じ将棋漬けの生活を送っているようなのです。
さて、プロのレベルではないとしても、自分たちの課題にあてはめたとき、例えば副業で成功したいため勉強する場合、本業が忙しくなかなか時間がとれないという日もあるでしょう。それに妥協して飛ばし飛ばしに勉強するよりも、毎日コツコツと勉強するほうが良いのではないか、ということです。少しでも良いので継続して頭を途切れさせないことが大切ではないかと思います。