小学生、中学生のころ、私はよく母親から「勉強しろ」と言われました。しかし、「勉強しろ」と言われて勉強したことは一度もありません!
昔話を少し。
小学校5年生のころ、家には百科事典みたいものがありました。子供の教育にはうってつけの書物だと思いますが、決して裕福ではないむしろ少し貧乏な家に、よくそんな書物があったものだと(親が頑張って購入したものだと)今になっては思います。夏休み、その百科事典の数学に興味をもって自ら勉強した記憶がうっすらと残っています。小学校6年生のころ、数学の難問といえば「つるかめ算」です。その解法は、図形的な思考で解き明かすものだったと思いますが、期末テストでつるかめ算の問題を方程式(中学生になってから勉強する解法)で解答した記憶があります。(標準的な解法ではないので×にならないか不安でしたが、無事○をもらえたという記憶があります)そのころから、数学は得意分野でした。中学生のころは、教科書の数十ページ先を読んでました。方程式に関しては、答えまでの道のりを紙に記述せず頭の中で全て進めて一気に答えを書いていました。そんな行動が注目され、「数学の神童だ」と言われたこともありました。当然、通知表の評価も10段階の10点になるところでしたが、つまらないミスも多くて、9点の評価でした。数学の先生からは、「暗算で方程式を解くからミスしてしまうので、計算過程を紙に書きなさい」と何度も注意されましたが、当時は聞く耳をもっていませんでした。今から思えば正しい教えだったと思います。(先生、ごめんなさい)高校受験が迫ってくると、1日1回は母親が「勉強しろ」と言ってきました。そう言われると、逆にやりたくなくなります。天邪鬼(あまのじゃく:言われたことと反対のことをする人)だった?人に指示されてハイハイと動くことがイヤだった?正確なところはハッキリを言えませんが、特に母親に言われてやるのはイヤで反発していました。男の子はみんなそうじゃないですか?私だけですかね?しかし、そんな経験から、子供達には「勉強しろ」とは言わないことにしています。いろいろな本にもそうかいてありますよね。でも、これがなかなか難しい。放っておくと、本当に勉強も何もしないかもしれないという不安を感じるから。(スマホばっかりさわってるしね)子供達には、何か夢中になれるものを見つけてほしいと思っています。(といっても、ゲーム三昧ではイヤですが)何かに夢中になり、それに全力で頑張ることは、試験で良い点数をとることよりも、はるかに価値のあることだと私は思います。
私は技術者ですが、なぜか自分の部署の求人(本来なら人事部の仕事)を自分でやっていました。(小さい会社なので、なんでもかんでもやらされていたのです)学校に求人票を持って訪問したことも何度かあります。先生や学生に話しするとき、「成績は重視しません、部活動でも趣味でも、何かに夢中になって努力してきた人を評価します」と言ってきました。でも本当に、そういう人材を期待しています。経験的に、大学卒,大学院卒という人を何人か見てきましたが、ロクな人材がいません。優秀な人材は大企業に全部もっていかれ、売れ残った(大企業が要らないと見切ったような)ダメな人間(?)しか小さな企業には入ってこなかったからかもしれません。そのせいか、「大卒は間接部門、高卒は現場」という昔ながらの発想には疑問を感じています。高卒でも優秀な人材はいる,どんな人がそうかというと、何かに夢中になってきた人だと思うのです。だから、「勉強」で成績を上げることよりも、何かに夢中になれるような教育が大切では無いかと思うのです。でも、「夢中になれ」では子供は動きません。自分から夢中になって、時間も忘れるほどのめり込める「何か」を見つけないとダメなのです。与えてはいけない、なかなか難しいですね。