升田・大山の師匠、木見(きみ)八段は弟子の教育という面ではとても優秀な方だったようです。
弟子2人の本から、同じようなことを言われている部分を抜粋します。
「人生勝負」より
先生がいちばんやかましくいったのは、「確信のない手は指すな」ということであった。とくに大野さんには、その点をやかましくいっていた。「早指しして、時間をあまして負けるちゅう阿呆があるか。時間はいっぱい使うもんや。ことに、新聞棋戦をあまして負けるとは、何や」と、大変、叱ったこともあった。
わたしは、先生から技術面での指導はうけなかったが、いつでも、おやじにたいするような気持ちで接していた。先生は無類の酒好きであった。同じように酒好きのわたしは、飲み屋にお伴をすることが多かった。
入門以前は”弱いモクミ八段”ぐらいにしか思っていなかったが、木見門下に入り、段があがるにつれて、先生の偉さがわかるようになった。あるとき、他の棋士仲間と、それぞれの先生について語り合ったことがあった。いろいろ話を聞いてみると、やはり、木見先生がいちばんりっぱであることがわかった。
「勝負のこころ」より
勝って早く帰ったときは褒められず、勝っても負けても持ち時間をいっぱいに
使って帰ったときは「ご苦労さん」とねぎらってくれるのであった。あるとき、木見先生にきいてみた。先生はこういう意味のことを教えてくれたのである。
「いまは相手が弱いから、いまのようなやり方でも勝てるが、五段、六段になって、いまのようなやり方では勝てなくなってしまう。自分の考えていることを実行して、それがすべて成功しているうちはいい。だが、そうはいかない。むしろ、苦しんで、ほかにもっといい手はないかと考える。そういうムダな努力を惜しんではならない。」
それが木見先生の考え方であった。盤上の技術を教えるだけでなく、盤に対したとき、力や意欲を十分に発揮できるような人間を作る-それが木見先生の指導方針であった。
人生でどんな人と出会うか、会社ならどんな上司の下になるか、会社以外でどんな人と出会うか、それは人生に対して大きな影響力があります。升田・大山の両氏は幸運に良い師匠に恵まれたことが、すばらしい実績を残せた一因だと思います。しかし、誰しもが幸運な出会いをするわけでなく、むしろ不幸な環境に追い込まれることのほうが多いような気がします。でも、現在の環境が悪ければ、それを変えるのも自分自身です。現状を変えることが難しいならば、行動範囲を広くすることで、人生に影響のあるすばらしい人と出会うことがあるかもしれません。私も最初から恵まれた出会いはなかったように思いますが、影響力の大きいすばらしい人たちと出会い交流を持つことができました。それは、狭い行動範囲に満足せず前向きに活路を切り開いていったことへのご褒美だったのでは、と思っています。