知ると分かるは大きな差

知ると分かるは違う。という言葉はく知ってはいましたが、それこそ自分は分かってなかったなと、思わされるような出来事がありました。

事例1:品質工学
ものすごく品質工学を勉強している人、知識量だけなら誰にも負けないんじゃないか?という人がいます。地方の研究会にも参加して意見も言うし大会にも参加しているなど「知る」ということに関してはかなりスコアが高い人です。しかし、なぜかその人は実践しません。なんでだろうと思っていましたが、分かっていないからだと、ようやく気づきました。話をすれば通じるし議論もできる。でも、なぜか仕事に使わない。その人が会社で1度だけ実践した事例を見ました。正確には部下にやらせた事例です。残念ながら、一番やってはいけないやりかたでした。端的にまとめると「品質特性を測定して再現しないという結論で終わった」という内容でした。品質特性でやったことは100歩譲って仕方なしと妥協しても、再現しない状態で終わりというのは、「18回も苦労してサンプルを作ったのに結局使えないじゃん」で終わるってことです。確認実験で再現しなかったときがスタートラインにたったときで、そこから始まるというのに・・悪い印象だけ残して終わる、一番やってほしくないパターンです。それを、部下が品質工学を理解していないせいにしてはダメです。潜在意識の観点からいえば「現状とはその人が望んでいる状態」なので、使えなかったという結論で終わってもいいんでしょう。さらに追い打ちをかけた出来事は、彼が上司から重要な仕事の舵取りをまかされたとき、基本機能を無視して「品質特性を中心に評価しましょう」と宣言したことです。そして1因子実験を繰り返し行っている。。。
知ると分かるの違いはこんなに大きかったんだ、と思った出来事でした。

事例2:トレード
最近行われたトレードに関するセミナーで、Hちゃんが講師をすることになりました。彼女は10年間成果をあげることができず苦しんだのですが、10年目にして100万円の壁を越え、その苦しんだ道のりをセミナーで話しされました。そのときの話で、表題と同じことを言われてるんです。「大事なことは私が今まで何回も出席したセミナーや勉強会のなかに全て入っていた。知っているのと理解しているのとは違う。本当に理解できたとき、ストンと私の中に落ちることになった。理解するのに時間がかかったけど、何度も立ち向かって分析し続けた時間はひとつも無駄ではなかった、信じ続けて良かった」「MA(移動平均線)、グランビルの法則、ちょっと勉強した人はみんな知っている法則。そんなのとうの昔に知ってるよ、と思ってた。でも、グランビルをちゃんと理解できているのとそうでないのとでは、ぜんぜん違ってた」

事例3:私の経験
独学で品質工学を勉強して、それなりに理解していたつもりでした。当時は不二越の人とも交流があり、品質特性で測定してもいいよね、って感じもありました。(注意:誤解の無いよう補足すると、不二越でも品質工学を指導できる人は多く、その中でも幅があるので、トップクラスの人は品質特性でもいいなんて言わないけど、中には品質特性でもいいだろうっていう人もいて、当時の自分の実力はそういう意見に賛同するものだったということです)しかしそこは研究会で矢野先生に徹底的にたたかれたところです。パワーポイントを数十枚作ってきたのにタイトルだけ見て却下されたこともありました。でも、そんな経験が今の自分のベースになっているんだと思います。矢野先生には本当に感謝しています。表題に合わせた表現をするなら、当時は知っている程度、矢野先生に何度も投げ飛ばされることでやっと分かるようになった、というところでしょうか。正直、私の研究会でのやりとりは、とても恥ずかしくみっともないものだったと思います。「そんなレベルで発表するの?」「全然わかってないじゃん」そう思われていたかもしれません。でも、それを恥ずかしがって(見栄を張って)発表せずに評論家みたいに遠くから見ているだけだったら今の自分は無いと思います。ちっぽけなプライドが成長の邪魔をするんです。いい大学に行って難しい言葉や数式を並べればすごいと思われる,みたいな体験をしている人ほどプライドが高く自分を良く見せたい、自分が悪く見られても体当たりで議論するんだという姿勢が無い、だから成長せず小さくまとまってしまう。私が一番大切にしていることは勝つこと(企業で言えば成果をあげること)です。誰に何を言われようと、勝たなくては意味が無い。「彼はすごいんだ」といわれても結果がでなければダメ。「あいつダメダメじゃね?」なんて言われても結果が出ていれば気になりません。そんな人生観で体当たりしてきたことが、今の自分を作り上げています。話を戻しますが、体当たりで時間をかけることで、やっと理解できたのだと思います。どんなに詳しくても、知っているだけでは結果はだせません。とにかく実践して、良かったこと悪かったことを経験していくうちにだんだん理解していくのだろうと思います。時間がかかります。ひとつの技術を理解するのに、3年くらいかかる、というのが私の経験値です。「品質工学は汎用技術、どんな職種でも通用する」という観点で、まったく未知の領域といえるところに転職しました。そこで品質工学の実験をするとすぐにそれらしい結果は得られました。でも、本当に身になる開発・改善をするためには、そこの技術者との密接な連携が必須でした。しかし、高い役職を与えられ、固有技術も汎用技術(品質工学)もまとめてできるだろ、と突き放されたとき、固有技術について知っているだけではダメでした。当時はその「知ると分かるの違い」という認識が無く、知っている範囲で正論を述べるのですが、長年やっている人たちからは「分かってない」と見られていたと思います。ようやく”分かる”ようになったのは、固有技術を求めるようになってから3年くらいかかったような気がします。冷静に考えて、例えば将棋でも、駒の動かし方は覚えられる、定跡も手筋も覚えることはできる、でもそれらを全て覚えても、初段には遠く及ばない。将棋も企業も同じなんだ、と今頃になって分かるとは情けない。将棋を知らない人には水泳の例がいいかもしれないですね。水泳の理論を詳しく知っても、摩擦抵抗がどうで手の角度はこうすべきでとか、評論家的にオリンピックの選手を分析できる知識があっても、一度も泳いだことが無ければ、たぶん言うほどの速さで泳げないだろうと思います。長くなりましたが、まとめると、実践を通じて体に染み込むものは大きいということです。
話がいろいろ遠回りしているようで申し訳ない。本題のテーマに戻りますが、知るを分かるに変えるためには、実践を積み上げるしかないというのが私の結論です。そしてその積み上げ期間は3年くらいというのが私の実力でした。(24時間の起きている時間を全部そこに集中できれば、もっと早くなるとは思いますが・・)時間がかかりますが、一歩一歩前進することが大切で、「知っている」ことに満足して分かろうとしないと本質には近づけない。そして、分かるために必要なことは、恥も外聞もなく体当たりで実践・議論していくことだと思います。