なぜ、こんなに勉強しているのに、結果がでないのだろう。
将棋でも、仕事でも、投資でも、勉強でも。
「知識」は増えているはずなのに、
結果がついてこない。
その理由は、とても単純かもしれません。
“知っている”だけで満足しているからです。
新聞将棋上達法とは・米長流将棋マル秘上達法
将棋の世界で、いろいろな勉強法があり、
その王道は、
・対局(実践)
・詰将棋の解図
・棋譜並べ
の3つが有名ですが、
将棋界のトップ棋士として有名だった米長邦雄さんが
マル秘上達法として提案された方法に
「新聞将棋上達法」という勉強法があります。
囲碁でも同様のことがいえて、
米長さん自信がこの方法で囲碁の実力を上げたとのことです。
新聞の将棋欄には、プロ棋士の1局が7〜8回に分けて掲載されます。
・現在局面(指了図)
・そこまでの指し手
・プロの解説
そして次回(翌日)、その続きが掲載される。
この新聞の将棋欄を使った勉強法
やることは簡単です――
その日の指了図を見て、
次にプロがどう指したかを考える。
答えは合わせは翌日に届く新聞の将棋欄で確認。
やるべきことは、
指了図から、自分の次の一手を決める。
ここで大切なことは、
・考える時間は長いほど良い
・集中して、真剣に考えること
・必ず自分なりの結論を出すこと
・妥協した結論にしないこと
これを繰り返すことで、
プロの感覚を教わりながら、
自分なりに原理を会得するのです。
自分なりに身につけることを抜きにした上達というものはあり得ません。
本質は「正解を知って知識を得ること」ではない
多くの人はこう考えます。
というか、私自身が先人に言われたのが次の言葉です。
「プロの正解を知ることが大事なので
難しくて時間を使いすぎるくらいなら、
無理に考えすぎず、
答えを見て手筋を覚えると良い」
違います。
大事なのは、
自分で考えた上で、プロの思考と照らし合わせること
そのために、妥協してはいけないんです。
ここに学習の核心があります。
自分で考えていない人は、
(あるいは考えが甘い人は)
プロの解説を読んで
「なるほど」で終わります。
しかし、
必死に考えた人は、
なぜ違ったのか
どこを読み違えたのか
どんな前提が足りなかったのか
自分に足りなかったものが、分かる。
この「誤読の体験」の積み重ね
こそが実力を作ります。
本当に強くなりたいと思ったら、
まず独立心が必要です。
いろいろな事を教えてくれる人や教材も大切ですが、
原点には自分が中心にいないといけません。
便利なツールや先人の残した定跡など、
それを覚えるだけで受け入れていてはダメで、
なぜそうなるのか、どんな原理なのか
自分なりに答えを出しておくことです。
そうすることで変化にも対応できる実力がつきます。
知ると分かるは雲泥の差
「すごく効果のある勉強法を知った」
それは、まだスタート地点にも立っていません。
“知る”と“分かる”の間には、大きな差があります。
分かるとは、
自分で再現できること
変化に対応できること
応用できること
です。
知る(覚える)だけでは、評論家にはなれても、
勝負には勝てません。
結果をだすことはできません。
自分の力で、一生懸命”考える”ことで
「知る」から「分かる」に
徐々に、なっていきます。
米長邦雄の言葉
名棋士・米長邦雄氏は言いました。
急がば回れ、ではない、
「急がば自分で考えろ」
本当に強くなりたいなら、
まず必要なのは“独立心”です。
・便利な定跡
・優れた教材
・最新のAI
それらはすべて「材料」にすぎません。
中心にいるべきは、常に自分です。
エジソンの言葉との共通点
エジソンもこう言っています。
「丸覚えの知識や大学出のエリートを気取っている人は軽蔑する。現場で全く役に立たない。
現場で得た生きた知識には太刀打ちできない。教育は現場でやるべきだ」
少々過激ですが、言わんとしていることは同じです。
本を読んだだけの知識と、
自分でぶつかり、考え、失敗した知識は、
まったく質が違います。
現場で得た知識には「体温」があります。
AI時代にこそ必要な力
今はAIが一瞬で最善手を示してくれる時代です。
将棋も、仕事も、副業も。
でも――
AIが示すのは「答え」であって、
「思考力」ではありません。
考える前に答えを見る習慣は、
思考筋を衰えさせます。
だからこそ、
まず自分で考える。
これが圧倒的に重要になります。
なぜ“自分で考える”と強くなるのか
自分で考えたものだけが、
自分の中で構造化されるからです。
なぜそうなるのか
原理は何か
何が変わると崩れるのか
ここまで踏み込んで初めて、
変化に対応できる力になります。
「急がば自分で考えろ」
近道を探す人ほど、遠回りします。
本当に早く強くなりたいなら、
人の答えを探す前に
解説を読む前に
正解を見る前に
まず自分で考える。
新聞将棋上達法は、
単なる将棋の勉強法を超えて、
「生き方の姿勢そのもの」
を示しているのかもしれません。
私自身、歳月を重ねてようやく、
この言葉の意味を“知った”から“分かった”へと
変わりつつある実感があります。
昔読んだ言葉が、
今になって体温を持って響く。
それこそが、
自分で考えてきた証なのだと思います。